北野天満宮・神戸


 JR三宮駅より山側(北)へ坂を約20分ほど登ると北野天満宮が有ります。

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 治承4年(1180)6月、平清盛丹より、京都から都を移した「福原の都」を造るにあたって、禁裏守護・鬼門鎮護の神として、京都北野の天満宮を勧請して祀られた

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   御祭神  菅原 道真公
   主な御神徳   学問・
   合格、和歌、芸能の神
   正直・至誠、厄除けの神





急な階段を上げると境内からは神戸の街景色が素晴らしい。
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                            境内にある願鯉(恋)に水をかけて…
地元「北野町」の地名はこの北野神社の由縁に寄ります。またこの神社前の東西の道は、古くより北部の西国街道です、西側には風見鶏の館(旧トーマス住宅)です。

住 所 神戸市中央区北野町3丁目12−1
TEL 078−221−2139




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神戸・厳島神社(兵庫区)


神戸には平清盛の足跡が多く残る関係でか厳島神社がいくつも有ります、今回は兵庫区にある厳島神社です。

 平清盛より以前奈良時代に行基上人によって開港されて居た大輪田の泊は平清盛によって大改修が行われて日宋貿易の拠点となる。治承4年(1174)には経ケ島と云われて居ました37ヘクタールに及ぶ人口島が完成、それを祝うため、安芸の国から勧請された。

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御 祭 神  市杵島姫命
清盛七辨天・おしゃれべんてん
平清盛によって創建された「兵庫厳島神社」は御祭神である市杵嶋姫命が神仏習合の影響で弁財天と同じとみなされ「兵庫弁天」と呼ばれてて近隣の人々から慕われ、尊敬されています。

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 当、厳島神社は今から約800年なえ治承4年(1180)平清盛にとって建立されました。清盛は買って安芸の国守任じられた時より、厳島神社を深く信仰して都を京より福原に遷した際に安芸の国より勧請しました。
 縁起記によると清盛が兵庫の港に築島を築こうとした時、ある夜夢に天女が現れ「私は安芸の国厳島明神である、此の海の暴風雨から守り、汝の心しを成就せしめんが為に来た、篤く信仰し疑うことなかれ」と告げた。平清盛は大変喜び、兵庫の港の守りが神としました。

俗に弁天さまとは、福徳円満・長寿無量の神で弁舌、音楽、芸能、海上交通安全の守護神と慕われて居ます。

此の厳島神社には淡島神社が祀られています。祭神は少彦名命・大巳貴命・息長足姫命(神功皇后)です。
(淡島神社は針供養で有名な神社)

P1050135.JPG  針塚

 例大祭 神幸祭   5月16日
 針供養       2月 8日
 亥の子祭り     旧暦10月亥の日

 淡島神社      4月 3日
 稲荷神社      3月初午日

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伝・龍燈の松

 かって本殿の裏に、樹齢千年にも及ぶ老松が有りました、平清盛が厳島明神を祀る所を探していた時、此の松の梢に燈がかかると云う奇瑞が有り、此の地を社地と定めたと云われる。のち文政7年(1824)5月5日、沖から燈火が飛来し、此の松にかかり煌々と輝いたので「龍燈の松」と称される。枯れ幹が残って居ましたが、惜しくの戦災にて消失しました。

住 所  神戸市兵庫区永沢町4−4−21
アクセス JR東海道線「兵庫駅」山側より東に8分


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神戸・久遠寺(清盛の足跡)


JR兵庫駅を降りて浜側の東に6分ほど歩くと久遠寺が有ります。この近くは平清盛ゆかりの地や寺が点在する。福海寺、柳原蛭子神社など…

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久遠寺は日隆上人(にちりゅうしょうにん)が開基し、始めは真言宗のお寺でしたが、その後日蓮宗に改められ、そして現在は法華宗に再度改められました。この寺は俗称「浜の寺」と云います。これは平清盛の経が島(きょうがしま)築造の頃にこの辺りが浜辺であったためにこう呼ばれて居ます。此の寺の建立は遙か後の事で、その以前にも同所にはお寺が建っていたと云われており、その寺は元の「築島寺」(ちくとうじ)だと云われた居ます。

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 住 所 〒652−0814 神戸市兵庫区門口町4−5
 TEL 078−671−5918


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花隈弁天さん、厳島神社


花隈駐車場の北側の坂道をの登ると赤い鳥居が見えてきます。これが花隈の厳島神社、弁天さんです。
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祭 神  市杵島姫命
     大物主命

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約800年なえ、平清盛が福原京(神戸)を造営した時、清盛が崇敬していた、広島の厳島神社より七社を神戸に勧請した中の一社と伝わる。
もとは宇治川尻(左岸)に有りましたが、明治の初期頃神戸港を建設するに当たり、現在の中央郵便局の場所に移転。その後中央郵便局建設のために現在の花隈に移転、鎮座いたしました。その名残で鳥居には「神戸最初船場鎮守」との額が掲げられています。
宇治川(暗渠)と国道二号線の交わる当たりの地名が弁天町となって居るのは昔の厳島神社が鎮座をしていたためで有ります。
住 所  神戸市中央区花隈町6−5
TEL  078−341−4566


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真光寺 平清盛 御膳水


西月山 真光寺 時宗の開祖、一遍上人の無くなった寺と伝わる。

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時宗は太鼓や鉦をならして踊りながら念仏を唱える「踊り念仏」が有名、盆踊りや御国歌舞伎など、踊念仏かを元に生まれた芸能も多い。

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一遍上人御廟

 平清盛がこのお寺に辨財天を勧請したときに僧がこの井戸でお茶をたてて献上したと伝わる。(平清盛が勧請したと云われている弁財天は今は何処にも見当たらない。)

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  一遍上人の「踊り念仏」による布教活動は有名で、また、民衆の心をひきつけましたが実際には一遍上人の
独創でなく僧侶、空也の影響によるものです。

時宗 西月山 真光寺

住 所  〒652−0881  兵庫県神戸市兵庫区松原通1−1−62
電 話  078−671−1958
交 通  JR神戸線「兵庫駅」〜徒歩約10分
拝 観  境内自由
駐車場  あり 無料

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福海寺(ふくかいじ)清盛遺愛時雨の松


JR兵庫駅に近くに禅宗南禅寺派福海寺が有ります。寺縁起によれば康永3年(1344)に足利尊氏により開かれたと云われています。福海寺の門には二両引きの紋が付いて居ました。

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 禅宗 南禅寺派 本尊 釈迦如来  脇侍 文殊普賢両菩薩
    山門鎮護 毘沙門天(多聞天)
    兵庫七福神  開運大黒尊天
 
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 お話では建武3年に京都合戦に敗れた尊氏は、新田義貞追われ、急遽福海寺の前身である針が崎観音堂の檀したに身を伏せ、それにより一命を取り留められました。その後合戦に勝利された後、福海寺は足利将軍(室町将軍家)より手厚い保護を受けました。

名所 平清盛遺愛の時雨の松 石碑

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 門の西側に「名所時雨松」の碑が有り、その横に「平清盛公遺愛時雨之松」の碑が有りますが松の木は見当たりません。平清盛遺愛の時雨の松は兵庫区三川口町に有りました、青葉から玉露をたらし、霊験あらたかであったと云われています。同所に有った兵庫最初の庚申堂と共に清盛の信仰を受けておりましたが太平洋戦争の火災により枯れて仕舞いました、現在は石碑のみが福海寺に残って居ます。

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 福海寺には、俵に座ってうちでの小槌を持った開運代行店が祀られています。例祭は向かいの蛭子神社と同じ一月9日から11日です。この辺りが最も賑やう時です。

 大黒さんのご利益

 大黒さんは「マハ−カーラ」と云われ、生産、破壊、時間、暗黒をつかさどるインドの神様、仏教では法を守る守護神、戦闘神、憤怒神、厨房神とされます。
 日本に来られて、大国主命(おおくににしのみこと)と習合され今の大黒さんになりました。
・開運招福、 ・財運招来(商売繁盛) ・家内安全、・五穀豊穣の神として信仰されています。
 手に持つ「打出の小槌」は財運を分け与えるもの、背負った金銀財宝など入った袋はしっかりと握られています、此のお姿は財畜、蓄財を表します、米俵に乗られ食糧、台所の神様としても親しまれています。そしてこの寺の大黒様は憤怒、微笑の2体です。
 「一家の大黒柱」という言葉で表されように、家庭を守る神であります。各家庭を守る最強神です。

住 所  神戸市兵庫区西柳原町10−10
アクセス JR兵庫駅浜側より東に徒歩約5分

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人丸前・平忠盛の腕塚神社


腕塚神社の縁起。

人丸前・平忠盛の腕塚神社

寿永3年(1184)2月7日、源平一の谷の戦いに敗れた薩摩守平忠度は、海岸沿いに西に落ちて行きました。源氏の将、岡部六弥太忠澄は、遠くよりこれを見て十余騎で追った。忠度に付き添っていた源次ら四名は追っ手に討たれた。忠度は一人に」なり明石の両馬川まで来た時に忠澄に追いつかれ、二人は馬を並べて戦い組も打ちとなる。忠度は忠澄を取り押さえ首を打とうとしましたが、忠澄の郎党が駆けつけて忠度の右腕を切り落とした。「これまでと」と、忠度は念仏を唱え打たれる。

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忠澄が忠度の箙(えびら)に結び付けられた文を広げると「行きくれて木の下陰を宿せば花や今宵の主ならまし 忠度」とあり忠度と判りました。


 敵も味方も武芸、歌道に優れた人をと涙したと云う。清盛の末弟の忠度は、藤原俊成に師事した優れた歌人で年齢は四十一才でした。
 此の神社は腕の病に霊験あらたかと御参りの人が絶えません。いま神社にある木製の右手で患部をなでればよくなると云われています。

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 毎年3月の第一日曜日に氏神の神官と共に祭礼を行い、謡曲「忠度」を連吟で奉納し忠度をしのぶ習わしが有ります。

場 所  明石市天文町1丁目   山陽電車人丸駅下車西に徒歩1分

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築島寺(来迎寺)・平清盛侍童、松王丸入海の供養塔


平清盛侍童、松王丸入海の供養塔が建つ築島寺。

 平一門の繁栄を支えたのは日宋貿易による経済である。日宋貿易を初めて実現させた清盛の父、忠盛りに鍛えられた清盛が古代よりの良港である大輪田の泊りに日宋の拠点を築こうと情熱を注ぎ、船を風波より守るための人工島(経ヶ島)築くにいぞんだが工事は難航事で進まず、竜神の怒りを鎮めるために清盛侍童・松王丸(香川の城主、田井民部氏嫡男)17才が人柱となった。此の松王丸の菩提を弔うために建立されたのが築島寺の供養塔である。

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松王丸供養塔

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松王丸供養塔の傍に妓王・妓女の塔が有ります。

妓王・妓女の塔

妓王と妓女は姉妹で共に京堀川の白拍子であった。清盛の寵愛を得て優雅な日を送って居ましたが、清盛の心が他の白拍子仏御前に傾いて、世の無常を嘆き、嵯峨野に庵(今の祇王寺)を結び仏門に入りました。その後、平家が壇ノ浦で敗れ、滅びたため、平家ゆかりの兵庫の八棟寺(能福寺の末寺)に住持して平家一門の菩提を弔ったと云われています。

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  妓王・妓女の墓

住 所 神戸市兵庫区島上町2−1−3
神戸市営地下鉄海岸線「中央市場駅」下車徒歩約3分

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阿弥陀寺  魚御堂(うおみどう)礎石


 神戸市兵庫区阿弥陀寺は平清盛が海路の安全守護神として建立したと云う説と自らの繁栄を祈願した寺とも言われている。

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 阿弥陀寺は文永8年(1271)に法然上人(ほうねんしょうにん)の孫弟子の淨音上人(じょうおんしょうにん)が開いたと伝えられています。境内の池の中ある魚御堂の礎石は、黒田長政の別邸の浜本陣にあったものを絵屋の鷹見家に譲り、それを阿弥陀寺に寄贈したと云われています。

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 この魚御堂は清盛が魚の供養のために設置したと云う説や重盛の仮住い跡と云う説など有りますが…さて?。「足利尊氏が湊川の戦いの際、須佐の入江の奥の魚御堂で楠正成の首を改めた礎石」伝わって居ます。

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この寺は最近立て替えられています、通称「楠正成供養石は境内の池の中央に置かれています。」

住 所  神戸市兵庫区中の島2−3
アクセス 神戸地下鉄湾岸線「中央市場駅」下車南西に徒歩約3分

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古代の大輪田泊の石椋(いわくら)


清盛が築いて貿易拠点、大輪田の泊の基礎石。

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運河沿いにある緑地に置かれた大きな石は、昭和の運河工事の際に堀り出されました。

 清盛が日宋貿易の拠点とする為に、奈良時代より僧、行基が造営した大輪田の泊を修築しました。これにより日宋貿易は盛んになり、宋銭や書物、香料が日本から鉱物、材木、が交換され、平家の隆盛を支えた。昭和27年(1952)に出土した20数個の巨石がこの古代の石椋(いわくら・港湾施設の基礎)であったと推定されています。

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現在の整備された大輪田の泊
住 所  神戸市兵庫区船大工町
アクセス 神戸市営地下鉄海岸線、中央市場下車

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