神戸 淨国山 金光寺(こんこうじ)


神戸市にある金光寺「兵庫のお薬師さん」と地元で親しまれている兵庫区にあるお寺でご本尊は薬師如来(1寸8分)は秘仏。

山号 = 黄金薬師の霊光をあまねく国の内外を照らし、すべてのものを淨めて、世の人々を導くとされ淨国山とされました。
寺号 = 本尊の黄金の薬師にちなみ金色の光から金光寺。

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伝承によれば、治承4年(1180)に平清盛が、京より神戸・福原(福原京)へ遷都しようとした際にまず、運河の解団を行おうとしていた所、ある夜童子が平清盛の夢枕に立ち現われて「兵庫の海中に霊仏有り、探し出すように」とのお告げがあり。兵庫の大輪田の海(大輪田の泊)に網を入れた所、海中から黄金の薬師如来像が出現し、平清盛はその霊験に感じ「これぞ当地の守護仏と定め一寺を起して安置」当地に大伽藍を建立したのが今の金光寺と云われています。
他説によると、寺縁起に因れば、承安3年(1173)に隆真法印が創建したと伝えられる。

此の神戸・金光寺は平成7年(1995)の阪神淡路大震災で、本堂、庫裏が全壊しましたが再建されました。再建された本堂は2階建てで、建物の形は崩壊前の本堂と同じとの事です。
住 所  神戸市兵庫区西仲町2−12
アクセス JR兵庫駅より東南約10分

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兵庫住吉神社・清盛塚十三重の塔、琵琶塚、清盛像


兵庫運河にかかる清盛橋のそば、住吉神社の境内に清盛塚十三重の塔がたっています、此の塚は古くから平清盛の墓と伝わって居ましたが、大正12年の調査で弘安9年(1286)に建てられた供養塔であることが判明し、兵庫県指定文化財となって居ます。元は現在地、南西約10メートルの所に有りましたが都市計画道路工事のため「琵琶塚」の側に遷されました。

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 この琵琶塚は伝承によると平経正(清盛の弟、経盛の長男、敦盛の兄)の塚で仁和寺の覚性法親王から拝領した琵琶の名器「青山」を一緒に埋葬したと伝わって居りますが、前方後円の形が琵琶に似ている所から琵琶塚と呼ばれ琵琶の名手経正と結び付いたようです。

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 また、昭和になって清盛塚のそばに清盛像が建てられました。

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兵庫運河にかかるコンクリート製の清盛橋、欄干には源平合戦や平家物語の名画面のレリーフが嵌め込まれています。




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清盛ゆかりの地 萱に御所跡 藥仙寺




清盛ゆかりの地 藥仙寺(牢の御所)神戸

 藥仙寺(兵庫区)は天平18年(746)に行基が開山した時宗のお寺、御醍醐天皇が隠岐の島より帰京の途中病気になり、ここの霊泉で薬を調進すると病気が平癒されたので、藥仙寺の号を賜ったと伝えられています。また、日本で最初に施餓鬼会を行った寺。

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本尊 薬師如来像  
 所蔵文化財 薬師如来坐像(平安時代)、施餓鬼図(朝鮮王朝時代)重文

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福原遷都の際
清盛が自分の別荘「萱の御所」に福原遷都に異を唱えた後白河法皇を幽閉しましたので別名「牢の御所」とも云われています。現在藥仙寺には「萱の御所」の碑が立っています。  




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  寺の名の基となった霊泉









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 藥仙寺は日本で最初に施餓鬼を行った跡碑






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善光寺(平業盛の塚)神戸


神戸 善光寺(平業盛の塚)

神戸市兵庫区の山手、会下公園の東側沿いに神戸、善光寺別院が有ります。

会下山公園への急な坂を上ると公園東側沿いに善光寺付く。

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門を入るとすぐ左側に平清盛の甥である平業盛(なりもり)の塚と墓碑が座しています。

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平清盛の弟で教盛(あつもり)の三男の業盛(なりもり)はわずか17歳、武勇に優れ、ここ夢野の陣も一の谷の西城戸の大敗により撤退、逃げ延びる途中、この地で源氏の泥屋四朗吉安と馬上で引き組んも上に重なっまま古井戸に落ち込みなおくみ敷きましたが、四朗吉安の弟五朗重行が駆けつけ業盛(なりもり)を打ち取りました。少年業盛の剛勇と怪力に敵も味方もその死を惜しんだと云われています。


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夢野八幡宮、清盛が新都守護神として創祀した。


 夢野八幡宮平清盛が新都守護神としてし創祀した。 平清盛が新都(福原京)の守護神として治承元年(1177)に創祀した夢野八幡神社。鳥居から急階段を48段上った先に社殿が有ります。急階段

 御祭神  応神天皇(おおじんてんのう)
      比売神 (ひめのかみ)
      神功皇后(じんぐこうごう)

 神戸中心地と北をつなぐ有馬街道の要所。平清盛が福原京を鎮護のために招聘した神社で、かっては夢野から平野、大輪田の泊まで一望出来る眺めの良い所で、狼煙を上げて、それを目印に平清盛が区割りを決めたと云われ新都の基準点となったと云われています。今では、建物が密集して見晴らしは良くありません。

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住 所 神戸市兵庫区氷室1−5 常時開放。
 

アクセス JR「神戸駅」下車、神戸市バス7・9・61系統「夢野町1丁目」バス停より北
10分

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平清盛ゆかりの地 東福寺、神戸



平清盛ゆかりの地 東福寺 神戸
山号 潮音山  東福寺

本尊 観世音菩薩

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                   上記写真は阪神大震災で全壊後再建された東福寺です。


 平野の地は平のの野と云う意味で安徳天皇の内裏と平清盛、平教盛を始めの平家一門の邸宅が建設されようとした土地である。

 平清盛は出家した仁安3年(1168)〜福原遷都の後(1180)京都に還るまでの厄10年間をこの平野で暮らしました。

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 東福寺は平野くでは最古のお寺で有り、平清盛は福原遷都で雪の御所を造営完成まで祇園神社の裏山の上伽寺(じょうがじ)という天台宗の寺を構えて兵庫の津の調査と築港に監督指示を出しました。
上伽寺の「潮音山」山号も平清盛自身が命名しました。上伽寺も源平の戦いで平家ゆかりの寺として消滅してしまいました。

現在の東福寺は今から350年ほど前に上伽寺の復興を願って建てられました。

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境内に「神戸市民の木」(昭和51年指定)の榎柏の気がそびえて居ます。

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兵庫泊人柱、清盛の侍童、松王丸の墓 能福寺


人柱、清盛つき侍童、松王丸の墓、能福寺。
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 二条天皇の時代、平清盛は我が国の貿易の中心地は、この兵庫として良い港を築くことにし海岸線を埋め立てる工事を着工しましたが、しかし潮流の流れが速く工事は難かしく、二度に及びました。
この時、占い師が「竜神の怒りであり、30人の人柱と一切経を書写した石を沈めると、この工事は成就する」と言上。
 そこで平清盛は生田の森に隠れ関所を構え通行の旅人を捕えさせたが、肉親の悲嘆は大きかった。
この時、清盛の侍童で香川の城主、田井民部氏の嫡男、松王丸17歳が「人柱の事罪が深い、私一人を身代わりに沈めて下さい」と申し出た。

 応保元年(1161)7月13日 千人の僧の読経のうち松王丸は海底に沈み築島は完成しました。こらが現代の神戸港の始まりである。

 天皇は大いに感動されて、松王の菩提を永く弔うために能福寺を建立し、念仏の道場とされました。


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平清盛ゆかり地、七宮神社


平 清盛ゆかりの地 七宮神社

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JR神戸駅浜側に出て国道2号線沿いに西に歩いて約10分、行くと七宮神社に着く。

名 称  七宮神社   祭神 大巳貴命、大日貴命、天児屋根命

 平清盛が兵庫の津・北浜の産土神として応保3年平清盛、福原遷都計画と共に築島竣工に際して、神恩感謝にために広大な社殿を建立、自筆の南無七大明神の神号を奉り金幣を併せて奉納した。(平清盛が経が島工事が豪風雨にて難行した為とも言われています。)
 
 天正10年1月19日七宮大明神の勅額及び三種の神器を下賜せられる。

 土地開拓、航海海上安全、商売繁盛、福徳円満、家内安全、縁結び、無病息災の七大幸福を得られる神にて七大明神として人々に尊敬崇拝されています。

 住 所 〒652−0831 神戸市兵庫区七宮町2丁目3−21
 TEL 078−671−3338

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鎮守稲荷神社 平経俊供養の五輪塔


平経俊の五輪の供養塔
 
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JR神戸駅より西に少し歩るくと国道2号線沿い松尾稲荷が鎮座しています。

 兵庫区西出町にある松尾稲荷神社に平清盛の弟経盛(つねもり)の息子で平敦盛の兄、平経俊(たいら、つねとし)を供養するための五輪塔が有ります。

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 一の谷の合戦で鵯の守備に付いて居た平清盛の甥に当る平経俊でしたが戦果無く長田の森から西出浜に落ち延びましたが源範頼の郎党・名和太郎に追われ、組打ちになり当地で平経俊は落命、時に寿永3年(1184)2月7日年わずか18歳でした。
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また、この鎮守稲荷には江戸時代の豪商、高田屋嘉平衛が海上交通の安全を祈願して奉納した石灯籠が有ります。

 
 

 住  所  神戸市兵庫区西出町630
 アクセス  JR]神戸駅〜国道2号線沿い西に約10分


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清盛、福原の夢 祇園遺跡と楠・荒田遺跡。


清盛の夢である、福原都。 祇園遺跡(塞神の松)と楠・荒田遺跡。P1030384.JPG

 平清盛一門の館は福原の都の中心地は湊川上流と現代の平野〜荒田町へかけての高台当たりと氷室町から夢野の山裾の緩傾斜面に有ったと云われています。この福原の中心地で12世紀後半の石組の池跡が兵庫県、神戸市の発掘調査で見つかりました。

 石組みの池跡は道路拡張計画に伴う調査で見つかり、この祇園遺跡(神戸市兵庫区上祇園町辺り)は平成5年の調査では、福原京の関連遺跡として庭園の池、導水路、排水路、石垣など園庭池遺構が発掘されましたが、道路拡張計画に伴う発掘調査のため小範囲ですので残念ながらその全容は判って居ません。       塞神の松
又、現在は遺構を見る事は出来ません、交差点十字路のそばに清盛のゆめに跡、祇園遺跡への道案内(塞神の松)が表示されています。

 楠・荒田遺跡。

 2003年12月、神戸大学医学部付属病院構内(神戸市兵庫区)の発掘調査で平家の福原京に関蓮すると思われる二重堀の遺構が掘り出されて、大変話題になりました。
 現地説明会では、確認された二重堀は東西約39メートル、断面の形がV形の薬研堀(やげんぼり)と呼ばれる形をしていました。此の二重堀の北側で、大量の京都系土師器皿が発見され、又、建物は高床建築で、中世武家居館に付属する「櫓(やぐら)」ではないかと推定されています。
 発掘地点の西側に荒田八幡宮が有り、そこは安徳天皇の行宮となった平頼盛邸との伝承の地です。
現在はこの遺跡は神戸大学医学部付属病院の中になり見る事が叶いません。


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