願成寺 平通盛、小宰相の局供養塔 


願成寺(がんじょうじ)は兵庫県神戸市兵庫区松本通にある浄土宗の寺院。
山号 上野山   本尊 阿弥陀如来

P1040159-thumbnail2[2].jpg


神戸地下鉄山手線湊川公園駅より西に徒歩約10ほどで小宰相局、平通盛供養塔の有る寺院、願成寺に着く。
元は烏原村住連坂の北手、烏原谷の左岸にありました。平安後期に衰退した寺を法然上人の弟子、住連坊が中興して無量寿佛を安置して願成寺と称したと伝えられています。

 住連は東大寺の実遍の子でのちに鳥羽上皇の官女、松虫、鈴虫を尼にした事で有名な承元の法難で法然は土佐に、親鸞は越後へ配流され、住連、安楽は近江で斬罪に処せられ、弟子たちが住連の首をこの寺内に葬ったと云われています。

P1040164.JPG

小宰相局・平通盛比翼塚(乳母呉葉建立の五輪塔)

P1040165.JPG

左の大きい塚が住連坊の塔

乳母呉葉は住連坊の義妹であったと云われ居り、またこの寺には小宰相局の二男物が安置されています。

住 所 神戸市兵庫区松本通2−4−11





posted by burari at | 源平合戦ゆかりの地 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

源平合戦の地 旗塚、生田川


生田川は源平合戦の地で旗塚が有ったと云われています。

一の谷の合戦の際、平家軍は生田の森の城戸として陣をこの生田川に逆茂木(さかもぎ)を並べて防御をかため源氏と相対しました。
P1040444.JPG

 旗塚は生田川の東側」に位置しています、源平合戦で討ち死にをしてた将兵の遺骨を集めた灰塚がなまったとゆう説、源氏側の旗印を立てた所とも言われていますし、また、昔に旗塚という古墳が有ったためとも…
生田川は親水公園として整備されていますが旗塚と思われる礎石は見当たりませんが生田川より東寄りに旗塚通と云われる地名が有ります。
 この旗塚という地名は寿永3年(1184)一の谷の合戦時、源範願頼が陣どり源氏の旗を立てたから旗塚と呼んだとか、元弘3年(1333)赤松則村が摩耶山に立てこもり京都六波羅軍を迎え撃った際、生田川は主戦場となり、戦死者を葬った処を灰塚と呼んだと云う説が有り審議は不明です。
新幹線「新神戸駅」南側すぐ

生田川公園
神戸市と中国天津市との友好を記念して親水公園風に整備され、岸壁面に龍をモチーフした壁面「百龍嬉水」と東家「連翼亭」が建てられて市民のいこいの場となって居ます。                            P1040286.JPG    生田川 連翼亭






P1040285.JPG     生田川 百龍嬉水
posted by burari at | 源平合戦ゆかりの地 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

生田神社 平安の歌会遊びを再現、王朝絵巻「曲水の宴」繰り広げられる。


4月4日(水)神戸生田神社の生田の森で平安の歌会遊びを再現、王朝絵巻曲水の宴」繰り広げられた。

P1040391.JPG

源平合戦ゆかりの地である生田の森で午後3時より曲水の宴が開かれました、古式に則り王朝絵巻さながら被講者と参宴者7名にて行われました。この日の歌題の「生」にいぞんだ。お天気も良く多くの見学者の見守る中、粛々と滞ることなく曲水の宴が取り行われて、約1時間で宴は終わり、被講者、参宴者退場。
生田神社では2001年に鎮座1800年を記念して始められ、今では春の恒例行事となって居ます。
事前申し込みで入場料(初穂料)は2000円。

P1040396.JPG

P1040411.JPG

曲水の宴は水の流れのある庭園で、その流れの淵に出席者が座して、流れてくる盃が自分の前を通すぎるまでに詩歌を読み、盃のお酒を飲み次へ流す。そして別の御堂で詩歌を被講者が披露するという行事。流觴(りゅうしょう)とも云われている。略して曲水、曲苑(広辞苑)

P1040420.JPG

P1040424.JPG

中国の古い時代から上巳の水辺で禊を行う風習があり、3月3日に禊と共に盃を水に流して宴を行うようになったと云われています。
日本では顕宗天皇元年(485年)3月に宮廷の儀式として「曲水の宴」行われたのが初見(日本書記)。古代朝鮮でも盛んに行われて居ましたが現在では記録は残って居ません。

日本国内で現在、大宰府天満宮(福岡県)、赤間神社(山口県)、賀茂別雷神社(京都府)、男山庭園(北海道)、仙巖園(鹿児島県)などで「曲水の宴」は行われて居ます。
posted by burari at | 源平合戦ゆかりの地 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

神戸 河原霊社(三宮神社)


生田の森の源平合戦で先陣を切った河原高直、盛直兄弟は平家方の弓の名手真鍋助光に射抜かれて、最後を遂げました。「源平盛衰記」では、源頼朝が河原兄弟の子に恩賞として報恩寺を建立、天正年間(1573〜1592)の兵乱で消失したと云われています。

P1010812.JPG

 
生田の森の源平合戦で先陣を切った河原高直、盛直兄弟は平家方の弓の名手真鍋助光に射抜かれて、最後を遂げました。「源平盛衰記」では、源頼朝が河原兄弟の子に恩賞として報恩寺を建立、天正年間(1573〜1592)の兵乱で消失したと云われていますP1030540.JPG
 
神戸大丸の北西少しの三宮センター街柳筋に「源平合戦」で亡くなった河原兄弟の塚と馬塚が明治時代までありましたが、戦後、跡地に小祠が建てられて居ましたが、現在は三宮神社の境内に移されています。





アクセス JR元町駅から南東約5分(大丸神戸店斜め前)
posted by burari at | 源平合戦ゆかりの地 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

神戸 小野八幡宮 河原兄弟ゆかりの神社


小野八幡宮は、鳥居の後に神戸市役所が見えます、本当に街の真ん中に鎮座しています。

P1030539.JPG
神戸

 御祭神  応神天皇(おうじんてんのう)

 小野八幡宮 源平合戦で先陣を切った、河原兄弟の功績を称えて…

 平安末期の源平合戦時、平知盛率いる平家軍は、神戸を拠点にも盛りを固めて源範頼総大将とする源軍を迎え討ちます。両軍対峙する中、河原太郎高直、河原次郎盛直兄弟が勇敢にも平家の大軍の中江先陣を切って斬りこみ、これによって各地で源平合戦の戦端が開かれ、最後源軍の勝利となった。

 平家滅亡後、勝利のキッカケをつくるも「源平合戦」で戦死した河原兄弟を源頼朝によって2人の菩提を弔うために大丸元町店の北に報恩寺を建立しました、その時に報恩寺の鎮守の神とされたのが小野八幡宮です。
 小野八幡神社
神戸市中央区八幡通4−1−37

アクセス
 JR・阪急・阪神三宮駅下車、南へ約8分


posted by burari at | 源平合戦ゆかりの地 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

箙梅(えびらうめ)、梶原ノ井戸、生田神社 生神社、箙梅、梶原の井戸


箙梅(えびら梅)、梶原の井戸 生田神社
神戸市中央区、三宮駅より北に徒歩約6分の所に生田神社、その背後に生田の森は広がって居ます。

P1030527.JPG

 
箙梅(えびらうめ)P1030509.JPG
 
生田神社会館前

 源平盛衰記に寄れば、寿永3年(1184)の源平生田の森合戦時、梶原景秀が平家の多勢に囲まれ居ながら、背負いの(えびら)に梅の一枝を差して戦いに挑み奮戦したと伝えられ、能や浄瑠璃で「将、中でも景秀は心の剛も人に勝れり、数寄たる道も優れるなり、咲き乱れる梅が枝を箙に挿したりける」と題材となりました。

P1030737.JPG

梶原の井戸

「かがみの井」とも云われ源平の生田の森合戦時、梶原景秀がこの井戸の水を汲み生田の神に武運を祈ったと伝えられています。
P1030515.JPG






 
posted by burari at | 源平合戦ゆかりの地 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

生田の森、源平の合戦地 生田神社


JR三宮で電車に乗って西に動き出すとすぐに山側の市街地にこんもりとした森が見えますそこが神戸、生田神社です。その生田神社の拝殿の後に源平合戦の地、生田の森です。

P1030518.JPG  

P1030519.JPG

  生田の森は北に六甲山がそびえ、南北に細長く、旧生田川まで及ぶ広大なる森林でした。鎌倉・室町時代の動乱期に生田川を控えた大森林は軍事的要塞として幾たびかの合戦の舞台となりました。

 平安末期、寿永3年(1194)2月源 範頼の率いる源氏方と平 知盛率いる平家方との「源平の合戦」の戦場で有ります。

 室町時代以前、南北朝の戦いでは、楠木正成、新田義貞軍の南朝方と足利尊氏軍の北朝方の合戦の地。

 戦国時代には織田信長軍と西側の花隈城主荒木村重軍との合戦の地です。

 源平合戦の際、平家はこの生田の森を東の城戸(きど)として平知盛を大将として源氏の範頼軍を迎え戦いました。

生田神社 兵庫県神戸市中央区下山手1丁目2−1

開園   生田の森:土日祝 10:00〜16:00

駐車場 有料 初めに1時間500円 年末年始、祭礼行事開催時駐車不可

アクセス JR、私鉄、各線三宮より北へ約10分



posted by burari at | 源平合戦ゆかりの地 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

生田神社 源平合戦屏風  2月18日まで


神戸生田神社に源平合戦屏風図を見に行く。生田神社会館を入ると左側面に、ケースもなし、身近にです。

P1030510.JPG

 色鮮やかな源平合戦屏風が神戸市中央区下山手1の生田神社、生田神社開館で2月19日まで無料で公開されて居ます。同神社は源平の激戦の地「生田の森」が残る地。此の源平の合戦図は一の谷の合戦等神戸の地が多く描かれています。

 六曲一双(六つ折りの屏風が左右に開く1組)の屏風、高さ約1,8b、。金雲の切れ間に、平家物語での色々な場面を描きいれて居ます。右から左へと時代を進めて、一の谷、屋島、壇ノ浦の合戦場面が鮮やかに描かれています。

 特に「安徳天皇乗船図」「那須与一の扇の的射図」「鵯越の逆落とし図」平家物語で幾度も読み、又、お話で聞いたテーマです。

 同生田神社の説明によると、江戸時代末から明治時代頃の作と思われる、芦屋市立美術館館長の広瀬忠子さん(84)=芦屋市春日町=の旧宅に伝わって居たが2年前、「源平ゆかりの地で保存を」と生田神社の奉納、生田神社加藤隆久宮司(77)は「表示豊かな作品。多くに人に是非ご覧に戴きたい」と話して居ます。

生田神社 TEL078−321−3851


posted by burari at | 源平合戦ゆかりの地 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    スポンサードリンク
   


外国為替証拠金取引
航空券株主優待